長瀞カヌースクール
スタッフ紹介
BY MAKIKO

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MAYUMI TANO

皆野と長瀞の町境の川岸で「長瀞カヌースクール」を開校している真弓ちゃんは、埼玉県代表選手としてカヤックシングル女子で、全日本や国体に出場した経験を持つ。この流域はカヌーのメッカといわれ、ラフティング(ラフトといわれるゴムボートでの川下り)や、カヌーを楽しむのに格好のゲレンデだ。

皆野生まれの真弓ちゃんにとって、荒川は子どもの頃からの遊び場。「川で泳ぐのは、当たり前。川は危ないから 、行ってはだめ!なんて言葉は、聞いた事がなかった。夏は毎日、朝から夕方まで、飛び込みしていた。あの頃は、大人も子供も、釣りのおじさんも、みんな仲良く一緒の場所に居た様な気がしたけど?鮎も、メダカも、鳥も、たくさん居た。川に、家畜も、流れていた。当たり前だったあの頃、おもしろかった!あのメダカ・・・何処に行ったのかな〜」と懐かしむ。

学校の校歌にあった、「荒川は、われらの産湯 みの山は、ゆりかご」がまさにぴったりの少女時代だったらしい。そして今も、カヌーやラフトのスクールが仕事なので、「まだ、相変わらず川で遊ばしてもらっている」というわけだ。

ログの囲炉裏(ここで川下りの後はパーティー) 真弓ちゃんがカヌーを始めたきっかけは、埼玉代表選手であったスラローマ―のご主人と結婚したばかりの頃、競技大会を見に行き、流星のように、目の前を通り抜けて行ったカヌーが、「まるで妖精が舞うみたいに、しなやかで、美しく見え、こんな遊びがあるのかとすっかり魅せられて」しまったからだ。始めはワイルドの選手、そしてスラロームの選手としてみるみる頭角を現した彼女は、国体の代表選手に選ばれた。

その当時、社会に出たり、結婚をきっかけにカヌーの世界から遠ざかってしまう仲間達の姿に、自分はいつまでもこの世界に関わっていたいと一念発起。まだ現役選手だった平成2年、日本体育協会の公認コーチの資格を取得し、翌3年、「長瀞カヌースクール」を開校した。

今でこそ、流域にこういったスクールが林立しているが、このスクールが第一号。釣師たちやライン下りの遊船からのクレーム処理係として苦労も多かったという。でも、「皆、川が好きなんだから仲良くしょうよ」が彼女の合い言葉。誰にでも好かれる天性の明るさと竹を割ったような性格、漁業協同組合の株主になって同じ立場から話し合うなどの努力で、いい関係づくりが実現していった。

長瀞の岩畳にある真弓ちゃんのスクールは、仲間といっしょに作ったログキャビンが目印。教室の基地だが、のんびりと一日を過ごすためだけにやって来る近所の人や仲間の姿が絶えない。スタッフを沢山確保しているし、料金もリーズナブル過ぎるし、競技選手になった生徒の面倒も見ている。「カヌー普及・ボランティア」といってもいいくらいだが、皆野・長瀞に腰をすえ、川が好きで好きでたまらない真弓ちゃんは気にしない。障害のある人にもカヌーを楽しんでもらいたいと、最近(財)日本障害者スポーツ協会の中級指導員資格を取得し、さいたま県立長瀞青年の家カヌー非常勤講師も勤める地元の人気者だ。

アザミさん
「カヌーは、良くない!マナーもないし、邪魔になるし、バシャバシャ漕ぐし、糸切るし・・・」と言い切っていた長瀞在住、根っからの釣り師、アザミさん。「こわーい人」と恐れられていたのに、或る日ひょっこり鮎をぶら下げてスクールに遊びに来た。

「川の流れ知ってる俺だったら、カヌーできるかな?」と2回練習して3回目でツアーに行ってしまうほど上手になった。山菜料理も得意、大工さんの腕も確か。

今ではラフトも漕ぐし、どんな舟もこなしてしまうバツグンの運動能力で、スタッフとして無くてはならない存在となっている。
ミスター宮原
皆野町在住で、町職員をしながらログビルダーとして、すでに10棟位建てている。西部のワイルドマンがピッタリ。

真剣を使用しての抜刀道のばりばり現役選手でもある。ミスターのログを手伝ったのがきっかけで、長瀞スクールのログも、皆でハンドメイドした。

ログは、基礎からすべて手作業。最高にリラックスできて、夕日を見ながら、beer、ワインが飲めるスクールの場づくりにミスターは積極的に協力してくれた。ミスターの凄いところは「夢語った後には、必ず実行あるのみ」。その、パワーには、いつも驚かされる。


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